
築100年の古民家で暮らしを紡ぐ宿「えのん」| 山口県阿武町
毎日を、 “きちんと” 暮らす。
山口県北部に位置する、美しい日本海に面する静かな漁師町、阿武町。人口3000人の小さな町で、毎日を紡ぐように暮らす中村龍太郎さん・千穂さんご夫婦。
彼らは東京から移住し、築100年の古民家を夫婦二人でDIYリノベーションした “ えのん” というゲストハウスを営んでいます。今回は、そんな二人のこだわりと温もりが溢れる “えのん” にお邪魔して来ました。
もくじ
美しい蒼い海が見える小さな漁師町 阿武町へ
到着したのは夜の20時頃。すっかり夜も更け、吐く息も「ほわっ」と夜空に消えていく。そんな寒空の下、龍太郎さんと千穂さんがびっくりするくらいの薄着で迎えにきてくれました。
「寒くないんですか?」
と尋ねると、
「お風呂に入ったからかなぁ(笑)」
と朗らかに笑って答える二人。ホクホクした空気が漂います。

阿武町に縁もゆかりもない二人が、東京から移住してきた理由
二人の出会いは、お互いが住んでいた東京 高円寺のバー。縁もゆかりもない、人口3000人の小さな町“阿武町”になぜ移住してきたのでしょうか。

龍太郎さん:ゲストハウス運営を本気で考え始めていた頃に、たまたま見つけたのが、2017年の「移住ドラフト会議」というイベントでした。
「移住ドラフト会議」とはその名の通り、移住希望者と受け入れ地域をつなぐ鹿児島発祥のマッチングイベント。そこに僕が参加して、阿武町に出会ったのがきっかけです。最初は移住するつもりはなく、軽い気持ちで遊びに行きました。
龍太郎さん:そのときに、この素敵な古民家引き継ぎのお話をいただいたんです。阿武町には、移住者を優しく心地よい距離感で迎えてくださる文化もあります。あと、自然が本当に美しいこと、災害が少ないこと等にもとても惹かれ、移住を決めました。
半年前に生まれた愛娘 咲穂ちゃんを抱っこし、優しく揺れながら、龍太郎さんは話します。

東京に住んでいた頃、龍太郎さんはインテリアデザイナー、千穂さんは看護師として勤めていました。そんな “仕事”を手放し、見ず知らずの田舎町で0からスタートすることに不安はなかったのでしょうか。
龍太郎さん:このまま東京で働き続けるのはちょっと辛いな、いずれは自然の美しい環境で子育てもしていきたいなと考えていました。なので、仕事を辞めて移住すること自体に迷いはなかったです。“えのん” のリノベーションは、僕が図面を引いてDIYしました。前職の知識のおかげですね。それに今の暮らしはあまりお金がかからないので、再びデザイナーとして働く予定はいまのところはないですね。
千穂さん:私は看護師として丸5年働いて、ちょうど良い節目だったというのはあります。看護の仕事自体は働く土地を選ばないので、「辞める」というよりは「一旦離れる」という気持ちでした。子育てが落ち着いたら、また看護の仕事に携わりたいなという想いもあります。
全ての始まりは沖縄のゲストハウスとの出逢い
ゲストハウスという存在を初めて知ったのは、沖縄県 那覇市。
龍太郎さん:元々将来は、家族との時間を大事にできるような暮らしをしたいと考えていました。でも実際は、東京でバリバリ働きづめの生活で。その末に長年付き合った前の恋人にフラれるという苦い経験をキッカケに「何のために働いて生きているのか」と、人生を深く考え始めました。そんな時たまたま旅行した沖縄で、“ゲストハウス”という存在を初めて知ったんです。
龍太郎さん:そこで出会った人たちの考え方や生き方にとても感銘を受け、「自分ももっと自由に生きていいんだ」と視野が広がりました。実はその時のご縁がどんどんと繋がった先に、千穂との出会いもあったんです。
「ゲストハウスに救われた」そんな想いを抱く龍太郎さん。
龍太郎さん:縁を生み出す素敵な場所を創りたい。自分を支えてくれた色んな人に恩を返したい。そういった想いから、 “縁”と “恩”で「えのん」 という名前をつけました。
命名のセンスもさることながら、入り口に大きく掲げられた「えのん」のロゴも、店主の龍太郎さんが作ったと言います。

毎日を“暮らす” ということを知った
東京から山口に移住し、仕事もゲストハウス運営に変わり、暮らしはどのように変化したのでしょうか。
コロコロキャンパー。旅とキャンプと海が好き。多い時は週1、平均月2回はキャンプしています。両親の出会いは登山サークルという、登山サラブレッド。NPO無人島離島活用協会メンバー。学生時代はバックパックで世界を回っていました。福岡県出身です。
